終わる世界、始まる僕ら

「ギルって猫みたいだよな」
「………は?」
広大な敷地内に誂えられた温室でふたりはぼんやりとアフタヌーンティーを楽しんでいた。
鼻先が痛むような凍てつく外気とは相反して、温室内は心地良い温度が満ちている。ギルバートを背にしたように咲く温室内の季節はずれの白百合の潔癖さが少しだけ疎ましい。その清廉さには彼を穢す己を叱責されているような錯覚すら起こす。
「何を突然言い出すかと思えば」
「だって、髪は黒いし、瞳の色は金色だし。あ、あとツンツンしてるところとかな」
「なんだそれは」
ギルバートは心底呆れた顔で紅茶を啜った。ティーカップの華奢な柄を掴むその白い指先にすら欲情することを、この男は知っているだろうか。
オズはじっとギルバートを見つめていた瞳を緩慢に反らした。すると、対峙している男は表情は変えずとも自分の瞳を追うように視線をたゆたわせる。
ああほら、その視線がまた自分を追いつめるというのに。


透明な硝子越しに映るしんしんと降り積もる雪はぞっとするほど周囲を静寂で包んでいた。それはまるでこの世界にオズとギルバートのふたりしか存在しないかのような、そんな愚かしくも甘い夢想をオズは抱いた。
本当にそうなってしまえばいいのに。
「ギル」
名を呼びながら鴉の濡れ羽色のような黒髪を一房とり、弄ぶ。ギルバートの髪は毛先の部分にゆるく癖がついていて、オズはそれを指先で弄ぶのがとても好きだった。
「オレだけを見て。オレだけを好きと云って。お前は本当に綺麗だから、何時も誰かに盗られやしないかとオレは本当に不安で仕方がないんだ」
翡翠色の幼い瞳を不安の色に揺らめかせる小さな主に酷く胸を締め付けられて、ギルバートは彼の額に己のそれを合わせた。
「俺は何時だってオズのものだろ」
「だったら、」
桜色の唇がギルバートのかさついた唇を奪った。それはぽってりとした柔らかい感触とは相反して、次第に奪うような獰猛さを帯びて行く。愛しい主からの口付による嬉しさと年端もゆかぬ子供相手ゆえの罪悪感による板挟みにあい、ギルバートは形容し難い愉悦が自身の背を這うのを自覚した。
「今度赤い首輪を用意しようか。ああでも、お前ならリボンでも悪くない。オレだけのいとしい黒猫」
首輪とは、またぞろ暗く重い愛だ。エゴイスティックですらある。
「出来ればどちらも遠慮願いたいものだ」
ギルバートはやれやれと云った風に肩を竦めて見せたものの、ことのほか主の瞳に本気の色を見つけてしまい、先程とは違った意味で背筋を薄寒い何かが走った。
その内自分は殺されるのではないか。
子供の愛は何時だって盲目で、可愛らしく、しかし時に癇癪を起したように暴風を撒き散らすから。
「さっきはオレのものだって云った癖に。そうやってすぐに気紛れを起こすところも猫みたいだってんだ」
オズは何がおかしいのかくつくつと肩を揺らして笑っていた。ギルバートは小首を傾げて彼の笑いのツボを探ろうと試みたものの、直ぐに飽きて煙草に火を付けた。口付のあとの一服もなかなか悪くない。
「なぁ、お前煙草変えただろう」
ゆらめく紫煙をぼんやりと眺めながらぽつりと呟いた子供に、ギルバートは片眉を少しだけ上げてから、ゆっくりと含んでいた紫煙を吐き出した。
「なんで分かった」
「だって、キスした時に味が違ったからさ」
オズがあまりにもしらっと云ってのけるのでギルバートは動揺するよりも先に面喰らってしまった。それから、じわじわとした羞恥心に襲われ、まだいくらも味合わぬうちに煙草の火を消した。
「勿体ない。煙草だって安くないだろ」
「お子様には関係のないことだ」
照れつつもそんな憎まれ口を叩く従者に、ああ、やっぱりこんなに可愛いギルバートは独り占めにしてしまいたいなぁ、と幼い子供は強く強く思った。

真冬には不釣り合いな狂気が芽生えた。


***


はじめは、何時も通りの睦み合いのはずだった。
それが一体どういう経緯で、こうなってしまったのだろうと泥のような快楽に爛れた頭でギルバートは思った。何度果てたか知れない欲望で白いシーツは汚れ切って、寝室には青臭い独特の匂いが充満していた。
視界は潤み、寝台の柵に拘束された両手首がつきりと痛む。
この手首の拘束だとて、最初は平時の可愛い戯れにすぎないとどことなく愛しいとさえ思ったのは何時間前のことだったか。
否、そもそも今の彼には時間の感覚すら危うい。このような事態がたった数時間の内に為されたと己自身が思っているだけで、実のところは数日にも及んでいるのかもしれない。
それくらい、彼に犯されている。体も、心も、何もかもを。
「やっぱりお前には赤が似合う。ああいとしい、オレだけの黒猫よ」
ギルバートの蒼白い首を飾る朱色のそれは特注の革製で、中央に大きな鈴がひとつある。彼の幼い主はかくも愛し気に瞳を細め、指先でそれを撫でた。
ちりん、とひとつ場に不釣り合いな涼やかな音が響く。
鈴を弄んでいた指先は段々に下降して、触れるか触れないかの曖昧な、けれど確かにギルバートの内に潜む愉悦を喚起させるのだ。何もかもを知り尽くしているからこその手管。
しかし、今はそれすらもどかしい。
だらしなく再び擡げはじめた己の中心に焦れたように両膝を擦り合わせれば、子供が嬉しそうに咽喉を鳴らした。
わかってる、ちゃんとわかってるから。
子供はそう甘ったるく耳元で囁くと、たいして嬲ることもせず、けれど丁寧な愛撫で以て吐精へと導いた。
「っ―…、っ!」
「ああごめんよ、ギル。こんな風に口を封じていたんではろくに呼吸も出来なくて苦しいよな」
猿轡を嵌められた唇の隙間から幾つもの唾液が滴り落ちた。頭を一周し口元に繋がるそれはギルバートの発言はおろか嬌声さえ赦さぬ証しである。
オズは彼の優美な曲線を描く顎から首筋にかけて落ちてゆく透明な雫を小さな舌で舐めとった。それにすら感じるのか、はたまた逐情を終えた直後で体が過敏になっている所為か、ギルバートは白魚のように背を撓らせる。
「オレだって本当はお前のいやらしくてかわいい声を聞きたいんだけど、でも、お前、口を開けば、こんなことはいけないだとか、俺はオズを穢したくないだとかそんなことばかり云うじゃないか。オレは、オレはそれがすごく嫌だ。すごくすごく嫌だ。オレは何時だってギルの綺麗な体に触れたくて仕方がないのに、だから、」
―――こうするしかなかったんだ。
言葉を紡ぐ声のなんと頼りなく寂しそうなことか。
その声音だけで、ギルバートは主のあらゆる狼藉を赦してしまいそうになる。赦して、宥めて、この腕に閉じ込めてやりたい。
けれどそれは叶わない。この、拘束された両手では叶わない。
「ああ、でも安心して。これからはギルのことはなんでもオレがやってやるよ。今まで、オレのほうがお前になんでもしてもらってたからなぁ。交代だ」
翡翠色の瞳がキラキラと光る。
「風呂は絶対一緒だろ、食事だってオレがちゃんと咀嚼して喰わせてやるからな。煙草は…本当は口移しが良いんだけど、それじゃあギルが副流煙を吸うことになるし、煙草好きなお前としてはこれはちょっと許せねぇよな。ぜったい不味いもん。何より体にも悪いしな。うん、煙草は普通に吸わせてやるよ。あ、もちろんオレの手からな。ていうか、なんでお前ってこんなに良い匂いなんだ。ヘビースモーカーの癖に。オレ、この匂いだけでもう何回もひとりでシてるんだけど」
おざなりに体に引っ掛かったシャツにオズは犬のように鼻先を寄せて、深く吸ったり吐いたりを繰り返す。
そうしている内に興奮したのか、ギルバートの中に萎えても尚入れっぱなしになっていた性器が再び凶暴さを取り戻していたいくらもしないで膨張したそれは元々深く挿入されていたことも手伝って、ことも無げに膨らんだ前立腺を擦った。
「っ!…――っ!、ぅっ、」
突如襲った直接的な刺激にぽろぽろと涙が零れた。それを見たオズは彼の体臭を嗅ぎ回すのをやめて今度は塩辛いそれを拭う為に前屈みの態勢になった。必然的に中のものも動かされるわけで、ギルバートの長い足がシーツを強く蹴る。
「っ――、と、そんな締め付けんな。ちょっと好すぎる。ああ、それでさ、」
締め付けるな、と云いつつも抽出はとどまることを知らない。子供が腰を使う度に、それに合わせて寝台がギシギシと悲鳴をあげた。

「お前もうずっとこのままだから」 

心底うっとりと響くその言葉は、しかし、死刑宣告にも似ている。
「このままってのは、このままってこと。ずっとずっとな。ギルはさ、真面目すぎんだよ。今までほんとに。オレはそんなお前も好きだったけど、でも、何処か何時も不安だったんだ。だからもうこれからお前は、オレのことと、自分の気持ち良いことにだけ考えてればいいんだぜ。あ、これ命令な」
ギルバートの中を穿つものは一等激しさを増していた。ぱちぱちとヒューズが爆ぜて、頭の中を見知った白靄が満たしてゆく。
――命令。
主から従僕への絶対であり、――それに抗う術をギルバートは知らない。

意識が飛ぶ寸前、何時か彼と過ごした真冬の温室が浮かんだ。




「ねぇギルバート。お前もうオレなしじゃ生きていけないだろう」

子供の声は、やっぱりとても愛しそうだった。
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