「オズ、ここにいたのか」
長い間渇望していた長編小説の続きを読むのに夢中になっていたら、つい時間を忘れてしまった。
いつもだったらギルが紅茶をいれてくれる時間だ。そして俺は呼ばれずともダイニングに顔を出して、
似合いすぎるエプロンを締めたギルに後ろからちょっかいを出しているはずだったから
不思議に思ったのだろう、ギルが安心したような声でそう言った。
「どこ探してもいなくて」
「ごめん、続きが気になって。」
「紅茶入ったぞ」
「ありがとう…ん?」
本にしおりを挟んで立ち上がると違和感を感じる。
「ちょっとかがんで」と言うと、ギルは不思議そうな顔をしながらすんなり膝を折った。
「ギル、もしかして香水つけてる?」
そういって鼻を首筋に押し当てた。息が鎖骨にかかってギルは声をあげる。
「オッ…!?」
「動かないでよ」
慌てるギルを無視して鼻を動かす。俺が肩に頭をくっつけている為にギルは顔を動かせず、
困惑した声を出すばかりで。胸元から手首に移動するが、どうやら匂いの元はそこじゃないらしい。
香水ならそこからのはずなのだけど。
「なんかいい匂いしない?」
そう言うとギルは納得したように、ああ、と声を漏らした
「さっきお茶うけの菓子を作ってきたから」
「バニラの匂いはそれか」
そうか、言われてみればこれはお菓子の匂いだ。砂糖とバターの甘い香り。
アーモンドのこうばしい香りだ。
「いつもと違う感じ…というよりなんだか懐かしい匂いがする」
小さい頃のギルは、そのふわふわした髪から、体から、甘いミルクのような匂いがした。
あたたかい布団のような。それと、走りまわる俺を追いかけるから土の香と若葉の匂い、
仕事で使う洗剤の匂いがした。
「まあ…最近煙草もやっていないしな」
「ああ、そうだね。ギルえらい」
そう言って髪の毛をくしゃくしゃと撫でる。ギルは「子ども扱いするなよ」と不機嫌そうな声色だが、
瞳はくすぐったそうに細められる。
「ギルはいつまでたっても頼りない従者だよ」
「頼りないは余計だ」
そう言っていまだにギルの髪を乱している俺の手を退けようと手を伸ばした。
俺はそのまま触れられた手を掴む。
白くて細い、女の子みたいだった綺麗な手は今は無骨な男の手に変わっていた。
うぬぼれかもしれないけれど、自分の為に、今の手に変えたのだろう。
背負わなくていいものをその手に持って、持たなくていい銃を握って。
儚くて繊細な美しさは、もうない。
失ってしまったものは仕方ない。だけど、
「お前はそれを誰に渡したんだろうね」
「オズ…?」
「ギルの意味を、俺に託さなくても良かったのに。そうすればお前だって失わずにすんだのに」
おかしなことだ。自分のものであれだなんて幼稚な望みなのに。
そしてそんな我が儘の為にギルは変わってくれた。なのにその代償は自分以外の誰かなんだ…なんて、子どもっぽい。自分だけがなんて。お前の、細められた目も、長いまつげも。
嫌になる、そんな俺の想いを知らないギルは「何かあったのか」と心配そうに顔を覗きこんでくる
「なんでもないよ」
ギルはこういう時だけ勘がいい。いや、もともと俺の事には敏感だった。アリスと違って。
そう、アリス、アリスなら俺がへこんだ時も、ただ不思議そうに首をかしげて
、それから理由が分からないまま俺を元気づけようとしてくれる。
少しだけ不安そうな気持ちを隠しながら俺に触れる。次の日は俺が落ち込んでいたことも忘れてくれて、いつもみたいに可愛いらしく笑うんだ。そしていつの間にか、俺自身も忘れさせてくれる。
「なんでもないよ」
俺はそう言って抱きついた。身長差があるので腰の周りに手をまわす形になってしまう。
ああ、こういう度にきっと俺は何度でも思うんだ。深い隔たり、その淵に触れる度に。
「あー、アリスに会いたいな」
そう呟くと「…だったら会いにいけばいいだろ」とムッとした声が降ってきた
「…ギル…もしかして嫉妬してる?」
見上げると、照れているのか怒っているのか分からない表情をしていた。複雑な表情。そもそもの原因を、お前が作ったなんて知るよしもないだろう。俺自身うんざりする、失ってしまったものへの焦燥感、よくわからない劣等感を。なんて、それでも
「…ギルの匂いだ」
ああ、変わらないんだ、お前は、ずっと。








結論→うちのオズは匂いフェチの話が多い
 
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